VJFは世界いちぃぃぃ!
ううん、別に。
VJFやゲームに関するページ(サターン時代)
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(タイトルの日付は初出日) |
VJFはバーチャが上手い集団ではありません。
バーチャが好きな集団です。
VJFとは!
【バーチャファイター】(2000/5/14)
言わずと知れた、3D格闘ゲームの元祖。
初めてこのゲームを見た時の衝撃は、VJFの人間なら一生忘れることはないであろう。
VJFのすべてはここから始まった。
当時はフレームが1/30秒だったので、
今見るとさすがに「動きが滑らか」とは言えないが、
それでもそこに人間がいることを彷彿とさせてくれたあの感動は、
いつ見ても色褪せることはない。
特にサラステージの美しさといったら!
バーチャがあったから今のゲーム界があるのだ。
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【Mr.BONES】(2000/5/14)
知る人ぞ知る、名作ゲーム。
かなり売れなかったので知っている人はものすごく少なく、
さらにとっつき悪さもかなりのものなので面白さを知っている人はさらに少ない。
このMr.BONESはもともとは洋ゲー(外国のゲーム)。
ストーリーに沿って進むミニゲームの集合体のような作りになっていて、
30種類ほどあるミニゲームは簡単なもの、単純なもの、難しいもの、
難しすぎてイヤになるものとさまざま。
ストーリーとしては、
ボスの吸血鬼(?)が自分の手先にするために蘇らせた骸骨の中で、
唯一「自己」を持って生まれてきてしまったMr.BONESが、
確たる正義の心など持たないまま何気なく敵の攻撃をかわしつつ何気なくボスを倒してしまうという、
全体的にバカゲーの匂いがプンプンするゲームであった。
しかし、発売当初「コンビニでしか売らない」というゲームだった上に、
1面がバカさが足りないストイックなゲームで、
しかも意外とテクがいる難しさを併せ持っており、
たださえ少ない購入者のうち1面だけやって中古屋に叩き売った人が半数以上を占めるのではないかと思われる。
ましてこれは家で1人でやっても面白さがわからないこと請け合い。
これの持ち主だったVJFの兄弟、がるも我が家に遊びに来たときに
「一応持ってきたけど…」と口篭もっていたのが懐かしく思い出される。
ところがVJFにはこのゲームにうってつけな人材がいた。
「はち」ことバーチャぜっぱちである。
彼はもともと洋ゲー好きで知られていた上にゲームテクもあり、
しかもスタンドアローンな低さ(関係ない)としゃべらせておくと一晩中ひとりでしゃべりつづけられるような見世物的な性格であった。
代わる代わるチャレンジしたもののどうにも面白さがわからなかった我々は、
はちのプレイを見て爆笑しだした。
彼の解説(アテレコ)つきプレイは、このゲームの面白さを最大限に引き出したのである。
そして次々にミニゲームをクリアしていくと、
Mr.BONESの真骨頂であるゲームに辿り着いた。
しかしそのときすでに朝方、起きていたのはプレイしているはちと私だけだった。
はちと私は徹夜明けのナチュラルハイ状態も手伝って、
腹が痛くなるほど笑っていた。
そして眠っていた周りの兄弟達も起き出した。
それがかのミニゲーム、「Funny Bones」である。
このゲームはサブタイトルが「イキなジョークで笑いをとろう」となっている。
サターンのパッドの6ボタン(A・B・C・X・Y・Z)にそれぞれ小噺の文節が隠されており、
適当にボタンを押して文節を聞きながら正しい順番に直してボタンを押すと小噺が完成し、
敵をひるませるというもの。
これが米国版ではおそらく素晴らしいアメリカンジョークだったのであろう。
日本版でも途中で挿入されるムービーでのBONESの会話は英語のままで日本語字幕だったというのに、
このミニゲームはコテコテの日本語の小噺になっているのである。
例えば「寝込んだ」「わー大変だ!」「どぅっはっはっは」「ネコが」を直して、
「わー大変だ!ネコが ネコんだ。どぅっはっはっは」
にするといった具合。
ゆっくり歩いてくる敵がBONESのところに辿り着くまでに小噺を完成させないと、
BONESは敵に殴られてバラバラになる。
文節を確認している段階では順番がめちゃくちゃなので周りにいる無数の観客骸骨たちにブーブー言われるのだが、
正しく小噺を完成させると観客は机を叩きながら爆笑し、
敵は後ずさりしながら苦痛の表情をするのだ。
こんなくだらない、いや楽しいゲームがこれまでにあっただろうか!!
このFunny Bonesだけ、
月一くらいでアペンドディスクを出して欲しいと思うほどに面白かった。
そして時折小噺の最後に付け足される「どぅっはっは」という笑い方は、
VJFの間でくだらないダジャレギャグを言った後に必ず付け足されるようになったのだった。
バックに流れるギターの曲もまた良かった。
Mr.BONESは途中の山小屋でギターをつまびく盲目のギタリスト(←CGムービー中突然実写で登場。
たぶん有名な人なんであろう。でもよく考えてみたら敵の吸血鬼も実写だったわ。
はっはっは)に出会い、ギターをもらう。
そしてこのギターを使って敵を味方につけたり倒したりもする。
というわけで全編にギター主体のサウンドが流れているのだが、
我が家はこのソフト自体は結局購入しなかったというのに、
サウンドトラックCDは買ってしまったほどいい曲が揃っている。
ムービーで交わされるMr.BONESの会話も、
アメリカンジョークのお手本のような軽妙さで、
最後まで見てみれば非常に出来の良いゲームであったと言えよう。
しかしいかんせんゲームとしては結構難しいし、
ワイワイ騒ぎながらゲームができる仲間と環境、
テクがあってバカなプレイヤーと時間と忍耐力が必要なゲームなため、
人気がでなくても仕方がないと言えよう。
本場アメリカでどのくらい売れたのかは知らないが、
日本では悲しくもはかない名作ゲームであった。
【電脳戦機バーチャロン】(2000/5/27)
VF以外には案外共通で好きなゲームがなかった我がVJF(笑)において、
ほとんどの兄弟がハマっていた稀有なゲーム。
ジャンルとしては「ロボット格闘」とでもいう感じのゲームである。
動かすだけなら誰でもできるのだが、いざ実戦となると意外と奥が深く、
1人で黙々とやっていてもあんまり上達しないこのバーチャロン。
VJF内でも関東勢はしょっちゅうつるんでやっていたが、
地方在住で周りに兄弟がいなかった人はあまりハマらなかったという歴史を持つ。
かく言う私も「主婦なのでつぎ込むお金と時間がない」ということを理由に、
VJFで流行りだしてからも長いことやっていなかった。
そう、それなりに人と対戦できるまでにはえらくお金のかかるゲームでもあったのだ。
ある日、入院していた兄弟のお見舞いにみんなで出かけたとき、
「ぜ〜ったい面白いからやってみなよ!教えるから!」と説得されて観念して始めたところ、
さすがにみんながハマるだけあって面白い。
ひとりではわからなかった動かし方も、教えてもらうとよくわかる。
とりあえずCPU戦の最初の2体くらいには確実に勝てる程度まで教えてもらい、
その後買い物帰りなどにちょこちょことゲーセンに寄っては数百円ずつ投資してCPU戦を練習することしばし。
弾がよけられなさそうな私は「肉を切らせて骨を絶つ」ために重量級のライデンを使用。
なんとか3面のドルカスを越えられるようになり、
そのうちヤガランデを出さずに済むようになり、
気が付けばジグラットを倒せるようになっていた。
こうなってくると結構面白い。
ためしにVJFでもそこそこな兄弟とやってみるとたまに勝てるほどになっていた。
ライデンの師匠であるバーチャジャンキー1号が同じ関東圏にいたこともあり、
やがて私はいつの間にかVJFの中でもかなりハマっている部類に入っていたのだった。
サターンで発売されたときはうれしくて、
ツインスティックもあまと対戦できるように2つ買ったのだが、
これはサターンのスペックの問題もありさすがに「完全移植」とは言えない程度の出来で、
ハマり度が高い兄弟ほど移植の質の低さを嘆いていたものだった。
まあ我が家はそれほどには否定していなかったけれども。
サターン版はともかくとして(ともかくとするのかい)、
バーチャロンは今でも心が熱くなるゲームであることには間違いない。
サターンMLでバーチャファイターをこよなく愛する者が集まってできた集団。
「バーチャジャンキー一家」の名の元にそれぞれジャンキーネームを持ち、
兄弟姉妹としてお互いの名前を呼び捨てにすることが基本になっている。
ナンバリング的には50人近くいるが、アクティブメンバーは約20人強。
2000年夏に結成5周年を迎える。
「あまぞん」の由来
MLで名乗りをあげた兄弟たちが1号、2号…という名乗りだったため、
5人目だった彼は「あまぞん」と名乗った(アマゾンが5人目の仮面ライダーかどうかはちらない)。
するとその後「ゾフィ」「01」と名乗る兄弟が続々と(笑)。
「きゃ4」の由来
VJFに入った当時は、
バーチャ以外にはゲームはUFOキャッチャーくらいしかやっていなかったので、
VJFの中のキャッチャー一家の4号に任命された(勝手に名乗ったとも言う)ため、
キャッチャー4号、略してきゃ4となった。読み方は「きゃしー」である。